21章
二股ラジウム温泉


<ひねもすのたり>

96年当時の二股ラジウム温泉1996.11.23
 
 長万部の奥に秘湯があるという。G君の話では「ちょっと汚いけど、雰囲気はすごくいいですよ。おじいちゃん、おばあちゃんが多いけど。」

 いつもの弥次喜多コンビの弥次さんと出かけることになった。朝の弥次さんの表情はいつも遠足にいく小学生そのもので、期待に胸膨らませる図である。

<中山峠越え>

 難所中山峠はこのところ降り続いた雪が両側に積もり、真冬の風景である。道路は圧雪とアイスバーンで、慣れないドライバー泣かせ。サンデードライバーの弥次さんは「なあーに、こんなの平気さ。スリルがあってむしろ楽しいよ。」と力強い言葉。

 免許取立ての初心者時代と比べると、確かに運転はじょうずになった。

 「雪道の運転は急ブレーキ、急ハンドルさえしなければ安全です。あとは車間距離を十分に・・・」とわが身を愛する同乗者は、言わずもがなの言葉を添える。もちろん内地の雪のない道路での「急ブレーキ、急ハンドル」とは意味が違う。もっとずっと微妙な運転感覚がある。とくに冬の中山峠は注意しすぎるということはなく、わたしも初冬の中山峠で遭難したくはなかった。

< 噴火湾 >

 噴火湾喜茂別(キモベツ)、留寿都(ルスツ)という道南北部の畑作地帯をまっすぐに抜けると、洞爺湖の手前で右折し、豊浦に出る。ここから大浦・礼文下にいたる内浦湾(噴火湾)の海岸線を走ることにした。先ほどまでの中山国道と違って、たいへんのんびりしていてその光景は伊豆の海に似ている。
 北海道とは思えない不思議な感覚に陥った。たった少し前まで伊豆にいたという感覚なのである。わたしにとって、伊豆は数え切れないほど走ったなじみの海なのだが、そこはかとなくゆったりした暖かな光景が似ている。いや、ここは北海道なのだと、現実に戻る。

 若い釣り人が静かな海に糸を垂れている。


 アイヌの砦らしきものが大網の湾に突き出ている。弥次さんの「上ってみようか。」の声で車を降り、急坂を登ると、そこには物見櫓のような要塞があった。

 ここは小さな湾になっていて見晴らしが素晴らしく良い。絶景ポイントであるが、この砦は戦争が起こったらひとたまりもなく陥落してしまっただろう。しかし 今は平和な時代で、海もひねもすのたりのたりかな、の雰囲気である。

< 礼文華 >

 続いて先日NHK北海道制作の「北海道中ひざくりげ」に登場した礼文華(れぶんげ)の港を訪れた。港のすぐそばに漁業協同組合が大きな建物を構えていて、その中を無遠慮にのぞいてみると、今朝漁れたばかりのサケが荷積みされている。きっと、近隣に散在する洞爺湖や登別など温泉場の今晩の食卓に添えられるのだろう。サケの隣にこれも大きな水槽があって、その中には人間の頭より大きく育ったミズタコが数え切れないほど遊泳していた。初めて近くでまじまじと見て、「大き過ぎる!」と戸惑いすら覚えた。

 さてここに興味深い文献がある。1878年(明治11年)この地を旅した英国人女性イザベラ・バードの「日本奥地紀行」より『礼文華』の項を抜粋してご紹介したい。


 「 岸辺に寄する波風は 疲れ果てしか、絶え絶えに うめくが如く泣くばかり 平穏の日ぞついに来たれり

 平穏以上の日であった。天国の朝かと思う日であった。紺色の空はあくまでも雲一つなく、青い海はダイヤモンドのように輝き、美しい小さな湾の黄金色の砂浜は多くの輝く微笑を浮かべているかのようにきらきらしていた。40マイル離れた向う側には、噴火湾の南西端を示す駒ケ岳の桃色の頂上が柔らかい青霞の中に聳え立っていた。すがすがしいそよ風が吹き、山は黄褐色に色づき、森は黄金色に煌き、あちらこちらに真っ赤な色が散っていて、深まりゆく秋の紅葉の先駆となっていた。

 礼文華はひどくさびしい孤立したところにあるが、とても魅力的なところである。宿の主人は人に親切な男で、アイヌ人に対して非常に愛着を感じている。アイヌのことを任されている他の役人たちが、有珠や礼文華の役人たちのようにアイヌ人たちを兄弟のように取り扱うならば、嘆かわしいこともあまりなくなるのだが。役人をしているこの男はまた、アイヌ人を、正直で悪意のない人間だ、といってたいそう誉めた。・・・」


<長万部 かなや>

 かなや昼に近い時間となり、早起きしたお腹が鳴きだしている。我々もおいしい魚を食べようと食事処を探すのだが見つからない。通りかかったスーパーで聞いてみたが、「この辺にはないのだが・・・駅の向こうに一軒だけ民宿があるのでそこで聞いてみて・・・」という返事。迷った挙句に探しあてた玄関口で、「こんにちわ、何か食べさせてもらえませんか?」と恥じらいもなくお願いした。奥から出てきた人のよさそうな民宿のおばさんは、「申し訳ありません、今、海に出ていますので何もできないのですよ。ありあわせのものでよかったら。」とつれない返事で、がっかり。残念無念もしかたなく、丁重にお断りをする。

 空腹をかかえて急いで長万部に走り、名物カニ飯の「かなや」に飛び込んだ。一度は食べてみたかった店で、期待して入ったのだが・・・・しょせんは駅弁。しかし、この駅弁はどこででも食べられるものではないと思いなおし、じっくりとよく噛んで賞味した。


<異様な石灰華ドーム>

 二股ラジウム温泉は全国に名だたる秘湯だ。しかも行きたくても行けない奥まったロケーションにある。

 療養棟、今はこの外観は見られない羊蹄国道を左に折れ、山々に囲まれた狭い舗装路を二股川上流方面に6`ほど進んで、だらだら坂を登りきると、二股の特徴ある温泉ドームが姿をあらわした。

 札幌から長い時間をかけて、やっとたどり着いたという思いだ。独特の建物は日露戦争のトーチカを思い起こす。(もちろん現物にお目にかかったことはありません)硫黄成分の黄色い地肌の斜面にニョキッと立ち、その足元は切り立った断崖になっている。駐車場も錯覚のせいか傾いて見え、滑り落ちないようタイヤに石の支えをかました。


 二股ラジウム温泉は、二股川上流カシュリナイ川のほとりに湧き出している温泉で、純度の高い鉱泉水の湧出によって、その沈殿物である石灰質の湯華の巨大なドームが何万年もかかって形成された。この種の温泉湯華は世界でも珍しいという。温泉沈殿物は炭酸及びカルシウムが主たる成分で、貴重な有効ミネラルのみであることが解明されている。源泉の温度は50度とか。(解説引用)

 さて、500円也を払って、入り口から緑のカーペットが敷いてある長い曲がりくねった廊下を伝い奥に入っていく。最後に薄暗い階段を降りたところに浴槽はあった。すでに何人かが湯につかっている。浴槽は言葉に表現できないほどの年月の産物で、薄暗い奇形は旅人に北海道を感じさせるに十分である。浴槽からあふれ出た湯によって磨かれた洗い場は、湯の華が沈殿して固まり、気持ち悪くゆがんだ模様を描いている。

 炭酸カルシウムの結晶がじわりじわりと効いている感じはしたが、本来温泉というものは最低1週間浸かり続けないと効果はないという。ただ長時間浸かっていれば良いというものではなく、一度に浸かる時間は10分とか。生兵法は怪我のもとにもなってしまうのでご注意。

 露天から眺望できる谷の向こうはすでに紅葉を終え、まだらに雪化粧すらしていてさびしそうであった。


< 混浴 >

 この温泉が混浴というのは本当で、女性も入っている。胸もあらわな中年の女性もいるし、タオルをまいた女性もいる。中をうろついて無遠慮な視線を投げかける助平親父もいる。

 昔は北海道の温泉はみんな混浴であった。そう聞いているし、学生時代に利用した登別の第一滝本館は実際混浴で、老若男女が群がって入浴していた。おおらかであった。

 プライドとは裏腹の恥ずかしさという感覚を知った都会人にはまったくぴんと来ない感覚である。

 男性にとって、混浴に入浴する際の最低のマナーがある。目線がさまよわないとか、女性には近づかないとか、やたらと話しかけないなどという・・・。単純な助平心では頭に血が上って温泉の効能は逆効果にしかならないだろう。

 助平な風潮が災いしたのかは知らないが、現在新しく出現している道内の温泉はすべて男女別浴になっている。


 帰りはすっかり温泉疲れのわたしの運転で、危険この上なかったが、隣の弥次さんはぐっすりとお休み。途中ニセコ・スキー場のナイターの輝きに誘われて、まわり道をしたがこれで眠気は飛んだ。

 そこは若者の天国。リゾートらしい雰囲気があった。しばらく我慢の運転で小樽に辿りつくと、鮨でお腹を満たし、無事中島公園の自宅に帰還したのは午後8時をまわっていた。

 長旅であった。心地よい疲れでぐっすりと眠りについた。

<続く>

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